スポンサーサイト

  • 2013.12.19 Thursday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


悲しく、そして嬉しく、やはり悲しく、けれどもその化学反応を称揚しよう

諸君等は何故に僕の経験を限りなく、そして幾度となく無にしたがるのか、そう問いたくなることがあった。部署が変わり、そして次は店舗が変わるのだという。こまったものです、と肩をすくめるような余裕はその時の僕も持ち合わせておらず、そうですか、と諾うほかなかった。サラリーマンなんだもん。

などと言っても結局、この異動が悲しく思えるのは今までの経験が無効になることよりも、ここの職場で築いた人との繋がりが終わってしまう、そう感じたからだ。僕の社会復帰のためのリハビリテーションに付き合わせておいて、来週にはここにいませんので……、というのはあまりといえばあまりにも酷い。

とはいえ未だ見ぬ光景を絶望的だと断ずるにはまだ早い。それは、引っ越しすら始まっていないからだ。でも、ただ場所が変わるだけ、と言い切れるだろうか。やはり物理的な懸隔こそが現代でも人との関係における重大な桎梏なるはずだ。と思っていたらわかる人にはわかってしまったみたいだ。最近の僕は思っていることがすぐに表情に出てしまうようだ。進歩か退行か判別はしがたいが今は叙情をこそ大切にしたいと思っている。

そして各所から餞別をたくさんもらった。ものであったり、行動であったり、嬉しいものばかり。そのなかでもとりわけ大切にしたいものは1冊のアルバムなのだ。これこそがここ数ヶ月で体験した奇跡的な時間のひとつの成果物で、今後の僕に対する明確な方向性を与えうるものだと直観した。僕のつくったものと、そのファインダ越しの視線との衝突が全く違うものもを生み出し、拙作を別のものへ変質させてしまった。その制作過程も完璧すぎるほど理想的であり、だからこそ僕の現状を顧みるにこれは夢と等しいのではないかと考えてしまうし、実際に夢になりつつある。ここで物理的な懸隔が夢と現実とを引き剥がしにかかってくる――この夢が餞別ではないにしても。餞別ではないと力なく囁かれたとしても。

実は今でもあの人が実際に存在しているのかということを疑っている。それほどに奇跡的な人物だ。言語感覚、感性、所作どれをとっても完璧だ。だからこそ疑っているし、興味が尽きない。

“Qui est elle ?” と何度でも問いたくなる。

おとといの夜から帰ってきてるよん

今日も休みなので2日まるごと実家にいます。
初任給ももらって、改めて働いていることを実感している次第。
それで、ここまできてどうなのかということを縷々話そうと思うのです。一言二言で終りそうな気もするけれど。
一人称の統一とか、細かいことは無視してね。ただの日記だから。

 まず感じているのは、自分の現在の座標は畢竟するに他者、あるいは別の場所と自分とを比較しなければ見えてこないなということだ。僕自身は引越しをしても、そして働いていても自分のやり方というのを曲げているつもりはなかった。ところが、ところ変われば人も変質を余儀なくされるのだ。これに気付いたのは自身の独得な嗜好からではあったけれども、この発見というのは全く今まで見落としていたものであり、これからのことを考える上では非常に示唆に富むものであった。

 確かに受容せざるをえない変化はあるが、そこでなお堅持しなければならない態度や生活様式もある。ただ、ここではそれを形の上だけでのみ存続させることに意味はあるのかという疑問が生じる。仕方なく破壊されたお城でかつての栄華の復古を試みることの惨めさ、もちろんそんなものを想起することはできないけれども、そういった連想に由来する惨めさが今ある。それならば今は留めおいておく方がよいことも幾つかあるのではないかと思い至った。もちろん、日々の気の持ちようでこのような思考を一挙に捨ててしまう用意ももちろんあるのだが。

 それよりも、過去と現在の座標における差異に拘泥するよりも今必要なのは、進む方向を明確にしなければならないということなのです。今はただただ前に進みたくて仕方がない。単純に出世したいとかではなくて、今の生活から脱したいとかもっと面白いものを見たいとか色々な、本当にいい気分とか悪い気分が交じり合って色とりどりな生活を送っています。

 今までは最近の生活についてよい部分を取り上げてきたんだけど、まあこれからも極力よい部分を取り上げていきたいんだけど、お気楽過ぎる僕の心性にちょっとした衝撃を与えるためにも、たまには悪い部分についても愚痴にならない程度にそして極めて抽象的にではあっても取り上げていきたい。他人の愚痴には興味は無いけど、他人の内面を知りたいと思ったことはありませんか。他者の内面の一端としてのブログという捉え方、なかなか興味深いものだと思うのだけど。無数の「今日〜があった。楽しかった or むかついた」みたいな紋切り型の日記の中から、驚くべきエントリが発見されることがたまーーーーーーーーーーにある。そういうものどもが無意味なものだとはどうも思えないのです。それならば探すだけではなくて、こちらからも少しだけでも何かを提供しようと試みるのが礼儀なのではないかな。ポメラだけに書き込む日記の方が多いけど、わざわざブログにあげるのは誰にというわけでなく何らかの意思疎通を望んでいる心性があるからではないだろうか。

こういった文章とは別にもっと長いやつを今書いている。
できるだけ面白いものにしたいのだがなあー。
何においても儘ならないことが多くて困り果てています。


Desperate new year !

もうすでに新年は始まっていたのです。
いきなり残念なタイトルから始まりました。
やはり、これから先を見据えた際には、そして今年1年を回顧したとしても、手放しで新年を祝う用意というのは僕には無い。
自分の行動に対する一定の成果というのは確かにあったけれど、それ以上に意志の薄弱さが際立つ。
自身への批判もままならず、かといって今までやってきたことに対する肯定もできず、したがって若さに由来するたまゆらの多幸感を味わうこともできない。

葺襲する物事に常に圧力を感じ、現状にも将来にもことさらの期待はかけることができないけれど、さりとて必要以上に悲観をしているわけではない。
絶望ということを俎上に載せることはつまり、対立する希望とか期待といったものにも言及していることと等しいし、言葉の意味として絶望なしの希望というのはありえず、その逆もありえない。
「AなしのBなんてありえませんよ」という言い回しはとても気に入っているし、この言葉には幾度も助けられた。この詩片を与えてくれた人はそんなこと意にも介さなかっただろうけれど、それはどうでもいい。肝腎なのはその詩片が僕にもたらす意味作用なのであって、送り手の意図ではまったくない。と、言葉にしてしまえば無礼なようだけれど、感謝はもちろんしている。それを伝える用意はもちろんできるけれど、正しい理解はしてもらえないだろう。

で、執拗に悲観的な見方を示すことで、俺本来のお気楽さを共示するという試みは成功したのだろうか。
いろいろ言いいますけれど、少ないとはいえ、全幅の信頼を置くことができる関係がいまだ残っていることに対して、最も安堵を覚えているんです。
何にしても今年も皆さん宜しく!

ビターリキュールをふりかけたジンはおいしい。
年末年始だし結構いろいろ飲んだり食べたりしたよう。
そういったことはまたそのうちに。


貧困問題の忘却、そして政治と政治報道の分離

 昨夜NHKで放送された9時のニュースでは貧困が惹起する学生の中退問題について扱われていた。病弱な親をも養いながら、奨学金で大学に通っていた女性は、将来への不安や自己の返済能力などを考慮した結果、学び続けることを断念した。ここには親から子への貧困の遺伝も観察できる。僕も奨学金は4年間借りたから卒業後に200万円の借金を負うことになる。初任給20万程度で福利厚生がろくに整ってないような企業に入ったらとてもではないが生活は成り立たないだろう。

 

もう少し続く...

6がつ 28にち " 「派遣村」全国シンポジウム 「派遣村から見えてきたもの」 " から見えてきたもの

 6月28日は派遣村全国シンポジウムに参加してきた。内容は年末から続いてきた派遣村に関わる活動の総括と今後の課題の提示である。だが、出だしの余興は必要なかったのではないかと感じた。こういった活動は決してお祭り感覚に堕してはならないはずだ。まずここで軽佻浮薄な印象を受けた。
 シンポジウムの前半は派遣村村長の湯浅誠が「派遣村活動の到達点と改革試案」という題で今後の方向性を示した。だがそれらは試案ではなく労働市場の現状認識や、諸問題の解決に向けた簡単な概念の提示のみにとどまっていた。
もう少し続く...

安心でも安全でもない「安心と安全」と僕たち私たちの暮らし



いまの商品は価格面以外でも過当な競争が進んでいる。
一方でまた過当な品質強化の先では呪術的な文言の付与された雑多なものが溢れている。
呪術的な文言とは言っても聞いた感じは至って普通な響きで、確かにその言葉通りのものが付与されているように錯覚できる。
ナチュラルとか、マイルドとか言った横文字もそれだ。
しかし品質の埒外にあるそれら「過当な品質」を確かめる手段などあるだろうか。
ナチュラルと表記された商品と、その表記が無い類似商品との違いを果たして感じ得ることができるだろうか。
もちろん大抵はできない。
感じるのは「なんかいいかも」という錯覚だ。
モノがもたらす機能で良さを感じることができないと言うことは、単一のあるいは複数のモノが醸し出す雰囲気に、他のモノとは違う良さを感じているだけだ。
つまりモノ自体ではなくて「感じ」や「雰囲気」、あるいは「空気」といった実体の無いものに価値を見いだしている。

もう少し続く...

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
recommend
links
profile
sponsored links
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM